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* 川合秀実はこんな人です -(by [[K]], 2019.04.15) ** (1) -''2019年度 SecHack365 開発駆動コース 川合ゼミ'' のトレーナー -''2019年度 セキュリティキャンプ全国大会 集中開発コース 言語自作ゼミ'' の講師 -教える人はどんな人なのか事前にわかったら、応募の際などに安心しやすいかと思って書きます。 ** (2) 基本的な指導スタイル -私はあなたの開発について「アドバイスをする」という立場をとります。あなたはアドバイスに従ってもいいですが、拒んでもいいのです。あなたのことを分かっているのはあなた自身です。だから最終的にどうするべきなのかを決めるのはあなたです。 -私のアドバイスを拒んだからといって、私が機嫌を悪くすることはありません。遠慮なく拒みましょう。自分の信じる道を行くべきです。 -私は基本的に変わり者で、つまり簡単に言えば変人なのです。そして自分が普通ではないことは大いに自覚していますので、自分のやり方が他の人にも通用するなんて基本的に期待していません。「私ならこうするけど、でも違うやり方でもいいと思うよ」という立場です。 -進捗が芳しくないときに、もっとがんばってよーとせかすことはあるかもしれませんが、それでも心の中ではちゃんと「もしかしたら私には話せない事情があって、今は開発どころではないのかもしれない」と思っています。だから進捗が最後まで出なくても、まあベストを尽くしたうえでのことならしょうがないよね、という立場です。このことについて叱責することはないです。 -他人に迷惑をかけるようなこと(事前に断ることなく、遅刻したり欠席したりするなど)はちゃんと叱責します。それは開発うんぬんよりも人として大切なことなので、是非これを機会にできるようになりましょう!! -あと、私もかつては「自分の作るOSでLinuxやWindowsに勝ってやるんだー」くらいの気概は持っていたので、いわゆる中二病的な気持ちはすごくわかります。積極的に応援します。水を差したりはしません。一緒に夢を観ましょう! --ただし、それですぐに起業するとか、人を雇ってあれこれするとか、そういうのには慎重です。お金をかけて失敗して借金まみれになったら嫌ですよね。そこは出資してくれる人を見つけてからにしましょう。 ** (3) 簡単な生い立ちなど -私は裕福ではない家庭に育ちました。私がプログラミングを始めたのは小学4年生のころでしたが(10歳)、当時の私はゲーム機を買ってもらえず(ほしいと言えるような雰囲気でもなく)、親戚のおじさんのお下がりの中古PCを譲ってもらったところがスタートです。PCが来たのはいいものの、ゲームなどはほとんどなくて、ゲームをやりたければ自分で作るしかなかったのです。 -小学校の間は、片道1時間くらいかかる(子供の足だともっとかかったかもしれない)図書館まで徒歩で往復して(バス代がもったいないので、歩く)、小学生向けのプログラミングの本を借りて、プログラミングを覚えました。小学生向けの本をすべて読み尽くすと、中学生向け、大人向けの本も探して読んでいました。 -プログラミングはお金のかからない趣味でした。電子工作とかも面白そうでしたが、部品を買うのにはお金がかかります。鉄道模型も好きでしたが、高くて少ししか買えません。でもプログラミングは、お金がかかりません。 -私は塾などには行っていませんでしたし、友達も少なかったので、時間はたくさんありました。私はプログラムを作って遊びまくったわけです。親はPCの前にばかり座っていると目が悪くなるぞと怒るので、多くの時間をチラシの裏にプログラムを書くという机上プログラミングに費やしていました。 -中学生になると、PCの性能限界まで引き出して処理をさせたくなって、機械語にも手を出しました。裕福な家庭の友人たちは、実にいいマシンを使っていましたが、私は彼らよりも何世代も前の機種で、彼らよりも高速に実行できるプログラムを書いていました。・・・わたしはそんな友人たちをうらやむことはあまりなく、今使っているPCでできることを全部やって、それでもうこれ以上できることはないと確信できたら次のPCを自分のお小遣いで中古で買おう、と思っていました。実際、そのようにしてきました。 -基本的に私の開発の目的は「ゲームを作ること」なのですが、それでも中学生になるころには、ライブラリの開発や言語の改造をやっていましたし、OSを作ろうと設計もしていました。 -高校も大学も大学院も、基本的に第一志望しか受けていません。すべて自宅から通学可能なくらいに近くて、公立の学校です。大学と大学院は奨学金を取りました。・・・でも余裕がなくてピリピリしていたかというとそんなことはなくて、やることやってダメならしょうがないという気持ちで、だから滑り止めを受けている友人たちの方が緊張している気がしました。ちなみに親からは、受験で不合格になったら就職しろと言われていましたし、私もそのつもりでした。また奨学金が取れなかった場合も、学費が払えなくなるので、即就職の予定でした。 -大学と大学院では、情報系の学科があればそこに行ったかもしれなかったのですが、近所にはそんな公立の大学はなかったので、物理学を専攻しました(私は物理学も大好きなのです)。・・・だから私は情報系の専門教育は一度も受けていません。大学でプログラミングの授業は一応ありましたが、まあ言うまでもなく余裕でした。・・・大学では、たくさん単位をとっても授業料が変わったりはしないので、貧乏根性丸出しで、たくさんの単位を取りました。 -2000年3月に大学院の修士課程を卒業しましたが、その直後にすぐにニートになりました。これは就職活動に失敗したからではなく、そもそも就職活動をしなかったのです。だって私はもっとプログラミングがしたかったのです。もっというと、当時の私はOS自作をやっており、これが一区切りつくまでは、どうしても就職する気にはなれなかったのです。 -しかし奨学金の返済や国民健康保険・国民年金の支払いで徐々に学生時代の貯金が無くなって、いよいよプログラミング生活を終わらせて就職するしかないか、という雰囲気になった時、私は運よくIPAの「未踏ユース」に採択されて、また預金残高が復活したのでした。 -しかし2005年になると、また預金が無くなって心配になってきたのですが、その時は「30日でできる!OS自作入門」(2006年)という本を書くことができて、そしてこれが爆発的に売れたので、私はお金持ちになり、かっこいい印税生活を始めました。まあやっていることは変わらずOSを作ることなのですが。 -途中、2009年から2010年は短期大学の非常勤講師などもやりましたが、最終的には2011年9月に第一希望のサイボウズ・ラボに就職し、現在に至ります。 -ちなみに私は自分が裕福ではなかったことを残念には思っていません。お金がなくてもここまでできたってことで、なんだか私は優秀そうに見えるじゃないですか(笑)。人並みにお金があって、いい塾に通って、滑り止めを受けつつ難しい学校も受験したら、あるいはもっといい結果になったかもしれないですが、それは費用対効果で考えたら、私よりもいいのかどうかは不明です。私は両親が私に費やした養育費を遥かに上回って稼いでいるわけで、私はそれでいいのです。・・・むしろ裕福な家庭で育ったら、私のような無謀なことはやりたくてもやらせてもらえないでしょうから、能力を証明する機会が与えられないわけです。 -プログラミングに関しても、私は他の人とは違った方法で学んできたおかげで、私のプログラミングは概してユニークであり、他の人が真似できないものを作ることができます。既存のものも私が私のやりたいように作り直すだけで、また違ったものになるのです。こんな特技は普通はほしくても手に入らないと思うので、私はこの点でも生い立ちに不満を感じてはいません。 -[結論] 受験では第一志望校しか受けていないとか、就職活動しないとか、本を書いたら運よく売れるとか、まあどう見ても普通じゃないですよね。まあ要するに世間知らず&ラッキーなんですよ、たぶん。 ** (4) 代表作など -2000年~ PC向け超軽量型OS「OSASK(おさすく)」 --今ではこれを第一世代OSASKと呼ぶ --画面写真がここで見られます: http://k.osask.jp/ipsj52_12/ -2006年02月 書籍「30日で分かる!OS自作入門」 -2014年08月 OSECPU-VM rev.2 --今ではこれを第三世代OSASKと呼ぶ --詳細はここで分かります → http://khfdpl.osask.jp/wiki/?oldworks13 -2019年02月 作りかけのプログラミング言語のデモ Essen2019-A → http://k.osask.jp/wiki/?p20190209b --まあこれが言語なのか?!という気はしますが・・・もはやOSの中のOSみたいな感じです。 * こめんと欄 #comment
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* 川合秀実はこんな人です -(by [[K]], 2019.04.15) ** (1) -''2019年度 SecHack365 開発駆動コース 川合ゼミ'' のトレーナー -''2019年度 セキュリティキャンプ全国大会 集中開発コース 言語自作ゼミ'' の講師 -教える人はどんな人なのか事前にわかったら、応募の際などに安心しやすいかと思って書きます。 ** (2) 基本的な指導スタイル -私はあなたの開発について「アドバイスをする」という立場をとります。あなたはアドバイスに従ってもいいですが、拒んでもいいのです。あなたのことを分かっているのはあなた自身です。だから最終的にどうするべきなのかを決めるのはあなたです。 -私のアドバイスを拒んだからといって、私が機嫌を悪くすることはありません。遠慮なく拒みましょう。自分の信じる道を行くべきです。 -私は基本的に変わり者で、つまり簡単に言えば変人なのです。そして自分が普通ではないことは大いに自覚していますので、自分のやり方が他の人にも通用するなんて基本的に期待していません。「私ならこうするけど、でも違うやり方でもいいと思うよ」という立場です。 -進捗が芳しくないときに、もっとがんばってよーとせかすことはあるかもしれませんが、それでも心の中ではちゃんと「もしかしたら私には話せない事情があって、今は開発どころではないのかもしれない」と思っています。だから進捗が最後まで出なくても、まあベストを尽くしたうえでのことならしょうがないよね、という立場です。このことについて叱責することはないです。 -他人に迷惑をかけるようなこと(事前に断ることなく、遅刻したり欠席したりするなど)はちゃんと叱責します。それは開発うんぬんよりも人として大切なことなので、是非これを機会にできるようになりましょう!! -あと、私もかつては「自分の作るOSでLinuxやWindowsに勝ってやるんだー」くらいの気概は持っていたので、いわゆる中二病的な気持ちはすごくわかります。積極的に応援します。水を差したりはしません。一緒に夢を観ましょう! --ただし、それですぐに起業するとか、人を雇ってあれこれするとか、そういうのには慎重です。お金をかけて失敗して借金まみれになったら嫌ですよね。そこは出資してくれる人を見つけてからにしましょう。 ** (3) 簡単な生い立ちなど -私は裕福ではない家庭に育ちました。私がプログラミングを始めたのは小学4年生のころでしたが(10歳)、当時の私はゲーム機を買ってもらえず(ほしいと言えるような雰囲気でもなく)、親戚のおじさんのお下がりの中古PCを譲ってもらったところがスタートです。PCが来たのはいいものの、ゲームなどはほとんどなくて、ゲームをやりたければ自分で作るしかなかったのです。 -小学校の間は、片道1時間くらいかかる(子供の足だともっとかかったかもしれない)図書館まで徒歩で往復して(バス代がもったいないので、歩く)、小学生向けのプログラミングの本を借りて、プログラミングを覚えました。小学生向けの本をすべて読み尽くすと、中学生向け、大人向けの本も探して読んでいました。 -プログラミングはお金のかからない趣味でした。電子工作とかも面白そうでしたが、部品を買うのにはお金がかかります。鉄道模型も好きでしたが、高くて少ししか買えません。でもプログラミングは、お金がかかりません。 -私は塾などには行っていませんでしたし、友達も少なかったので、時間はたくさんありました。私はプログラムを作って遊びまくったわけです。親はPCの前にばかり座っていると目が悪くなるぞと怒るので、多くの時間をチラシの裏にプログラムを書くという机上プログラミングに費やしていました。 -中学生になると、PCの性能限界まで引き出して処理をさせたくなって、機械語にも手を出しました。裕福な家庭の友人たちは、実にいいマシンを使っていましたが、私は彼らよりも何世代も前の機種で、彼らよりも高速に実行できるプログラムを書いていました。・・・わたしはそんな友人たちをうらやむことはあまりなく、今使っているPCでできることを全部やって、それでもうこれ以上できることはないと確信できたら次のPCを自分のお小遣いで中古で買おう、と思っていました。実際、そのようにしてきました。 -基本的に私の開発の目的は「ゲームを作ること」なのですが、それでも中学生になるころには、ライブラリの開発や言語の改造をやっていましたし、OSを作ろうと設計もしていました。 -高校も大学も大学院も、基本的に第一志望しか受けていません。すべて自宅から通学可能なくらいに近くて、公立の学校です。大学と大学院は奨学金を取りました。・・・でも余裕がなくてピリピリしていたかというとそんなことはなくて、やることやってダメならしょうがないという気持ちで、だから滑り止めを受けている友人たちの方が緊張している気がしました。ちなみに親からは、受験で不合格になったら就職しろと言われていましたし、私もそのつもりでした。また奨学金が取れなかった場合も、学費が払えなくなるので、即就職の予定でした。 -大学と大学院では、情報系の学科があればそこに行ったかもしれなかったのですが、近所にはそんな公立の大学はなかったので、物理学を専攻しました(私は物理学も大好きなのです)。・・・だから私は情報系の専門教育は一度も受けていません。大学でプログラミングの授業は一応ありましたが、まあ言うまでもなく余裕でした。・・・大学では、たくさん単位をとっても授業料が変わったりはしないので、貧乏根性丸出しで、たくさんの単位を取りました。 -2000年3月に大学院の修士課程を卒業しましたが、その直後にすぐにニートになりました。これは就職活動に失敗したからではなく、そもそも就職活動をしなかったのです。だって私はもっとプログラミングがしたかったのです。もっというと、当時の私はOS自作をやっており、これが一区切りつくまでは、どうしても就職する気にはなれなかったのです。 -しかし奨学金の返済や国民健康保険・国民年金の支払いで徐々に学生時代の貯金が無くなって、いよいよプログラミング生活を終わらせて就職するしかないか、という雰囲気になった時、私は運よくIPAの「未踏ユース」に採択されて、また預金残高が復活したのでした。 -しかし2005年になると、また預金が無くなって心配になってきたのですが、その時は「30日でできる!OS自作入門」(2006年)という本を書くことができて、そしてこれが爆発的に売れたので、私はお金持ちになり、かっこいい印税生活を始めました。まあやっていることは変わらずOSを作ることなのですが。 -途中、2009年から2010年は短期大学の非常勤講師などもやりましたが、最終的には2011年9月に第一希望のサイボウズ・ラボに就職し、現在に至ります。 -ちなみに私は自分が裕福ではなかったことを残念には思っていません。お金がなくてもここまでできたってことで、なんだか私は優秀そうに見えるじゃないですか(笑)。人並みにお金があって、いい塾に通って、滑り止めを受けつつ難しい学校も受験したら、あるいはもっといい結果になったかもしれないですが、それは費用対効果で考えたら、私よりもいいのかどうかは不明です。私は両親が私に費やした養育費を遥かに上回って稼いでいるわけで、私はそれでいいのです。・・・むしろ裕福な家庭で育ったら、私のような無謀なことはやりたくてもやらせてもらえないでしょうから、能力を証明する機会が与えられないわけです。 -プログラミングに関しても、私は他の人とは違った方法で学んできたおかげで、私のプログラミングは概してユニークであり、他の人が真似できないものを作ることができます。既存のものも私が私のやりたいように作り直すだけで、また違ったものになるのです。こんな特技は普通はほしくても手に入らないと思うので、私はこの点でも生い立ちに不満を感じてはいません。 -[結論] 受験では第一志望校しか受けていないとか、就職活動しないとか、本を書いたら運よく売れるとか、まあどう見ても普通じゃないですよね。まあ要するに世間知らず&ラッキーなんですよ、たぶん。 ** (4) 代表作など -2000年~ PC向け超軽量型OS「OSASK(おさすく)」 --今ではこれを第一世代OSASKと呼ぶ --画面写真がここで見られます: http://k.osask.jp/ipsj52_12/ -2006年02月 書籍「30日で分かる!OS自作入門」 -2014年08月 OSECPU-VM rev.2 --今ではこれを第三世代OSASKと呼ぶ --詳細はここで分かります → http://khfdpl.osask.jp/wiki/?oldworks13 -2019年02月 作りかけのプログラミング言語のデモ Essen2019-A → http://k.osask.jp/wiki/?p20190209b --まあこれが言語なのか?!という気はしますが・・・もはやOSの中のOSみたいな感じです。 * こめんと欄 #comment
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